2019年4月12日に放送される「爆報!THE フライデー」。

「平成の三羽烏」と言われた天才ボクサー・ピューマ渡久地さんが紹介されます。

なんと現在、記憶障害になっているということなのです。

ここでは、ピューマ渡久地さんの簡単な経歴について、

病気について調べてみました。



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ピューマ渡久地のプロフィール

名前:ピューマ渡久地(ピューマとぐち)

生年月日:1969年11月20日

出身地:沖縄県石川市(現・うるま市)

ピューマ渡久地はどんな選手だった?

ピューマ渡久地さんは、1990年代のボクシング界で活躍された選手で、

鬼塚勝也さん、辰吉丈一郎さんと共に平成の三羽烏とまで称された選手でした。

残念ながら、ピューマ渡久地さんは、世界チャンピオンにはなれませんでしたが、

パワフルなボクシングが持ち味で、

世界王者と同等の力量をもっている選手だったということです。

デビューから10戦連続のKO勝ちで、日本王座に。

そして、1991年3月、ロシア人ボクサー勇利アルバチャコフと対戦することになりました。

元アマチュア世界選手権優勝者の勇利アルバチャコフに挑戦するという夢のカードになりましたが、

ピューマ渡久地さんは、試合直前に当時の所属ジムとトラブルを起こし失踪してしまいます。

日本王座は剥奪となり、JBCから「無期限ライセンス停止」の処分を受けてしまいます。

しかし、その後、復帰をし、

1996年8月26日、かつて失踪して対戦できなかったWBC世界フライ級王者・勇利アルバチャコフと対戦することになります。

これが、世界初挑戦となりました。

結果は、9回TKOで敗北。

その後、ピューマ渡久地さんは、1998年12月には、バラエティ番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の企画「ボクシング予備校」出身のWBA世界スーパーフライ級王者・飯田覚士さんに挑むことになります。

しかし、試合前に脳梗塞の疑いがある、と診断されてしまいます。

そのため世界戦の再挑戦中止に。

脳梗塞の疑いですが、その後、誤診という診断が下ります。

再び、1年以上を要してリング復帰しましたが、

1999年10月の試合で3回TKO負け。

結局、この試合を最後に現役を引退しています。



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ピューマ渡久地の脳梗塞は本当に誤診?現在、てんかんに

さて、そんなピューマ渡久地さん。

今回、放送される「爆報!THE フライデー」では、

自分の年齢さえ分からなくなる記憶障害になっていることが紹介され、

症状はさらに悪化し、なんと自宅大切な家族の記憶も消えていたということなのです。

番組では、離れ離れに暮らす家族が再会するという内容になっています。

そうなると、やはり気になるのが、

飯田覚士さんの一戦の前に診断された「脳梗塞の疑い」です。

結局、誤診ということになったそうですが、

これが本当に誤診だったのか、気になるところです。

現在、ピューマ渡久地さんの病名ですが、

重積てんかんです。


いろいろ医療関連のサイトを見ていますと、

脳梗塞からてんかんになる場合もあるということです。

症候性てんかんは、脳に何らかの障害が起きたり、脳の一部に傷がついたことで起こるてんかんです。たとえば、出生時に脳に傷がついたり、低酸素、脳炎、髄膜炎、脳出血、脳梗塞、脳外傷、アルツハイマーなどが原因で脳が傷害を受けた場合に起こるてんかんです。

選手時代の脳梗塞の誤診は、気になるところです。

とにかく病気に関しては、「爆報!THE フライデー」で、しっかりと紹介されるはずです。

選手時代の脳梗塞と引退に患った重積てんかんとの関係についても語られるかもしれません。

まとめ

2019年4月12日放送の「爆報!THE フライデー」。

ピューマ渡久地さんが紹介されます。

現在、記憶障害になっており、病名は重積てんかんということです。

番組では、詳しく病気について紹介されるはずです。



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