大河ドラマの「いだてん」が1月6日から始まります。
連続テレビ小説『あまちゃん』で脚本を担当した宮藤官九郎さんのオリジナル脚本となります。
宮藤官九郎さん以外も『あまちゃん』と同じスタッフということで、
期待が高まりますね。
今回の大河ドラマですが、主人公が2人。
実在の人物です。
モデルとなったのは、金栗四三さんと田畑政治さん。
大河ドラマにも実際の人物名で、登場します。
このいだてんのモデルとなった金栗四三さんと田畑政治さんは、どんな人なのでしょう。
調べてみました。
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目次
金栗四三とはどんな人
金栗四三さんは、日本における「マラソンの父」とよばれる人です。
明治に生まれ、大正時代のオリンピックで活躍されました。
金栗四三のプロフィール
名前:金栗四三(かなくりしそう)
生年月日:1891年8月20日
没年月日:1983年11月13日(92歳没)
出身地:熊本県玉名郡春富村(現・和水町)
金栗四三は3度のオリンピックに出場
「マラソンの父」と呼ばれる金栗四三さんは、3度のオリンピックの出場しています。
第5回1912年のストックホルム大会(1912年)
第7回アントワープ大会(1920年)
第8回 パリ大会(1924年)
一度目のストックホルム大会は、一時行方不明になりました。
というのもレースの途中に日射病になってしまい近くの農家で介抱されていたからです。
レース当日は、最高気温40℃という記録的猛暑で、
出場選手68名中およそ半分が途中棄権するレースだったということです。
次の1916年のベルリンオリンピックは、
第一次世界大戦が勃発して開催中止。
この時は、メダルの期待されていたそうです。
2度目のオリンピックは1920年のアントワープ大会。
ここでは、16位という成績を残しています。
3度目がパリ大会ですが、ここでは途中棄権をしています。
金栗四三は箱根駅伝の開催にも尽力
金栗四三さんはお正月の風物詩となっている箱根駅伝の開催にも尽力したということです。
1920年2月14日に行われたのが最初の大会だったようでうが、
これは、金栗四三さんが「五輪で日本を強くするには、長距離、マラソン選手を育成すること」と発案したことがきっかけで、
アメリカ大陸の継走での横断を実施するための代表選考会という位置づけで始まったということです。
1916年のオリンピックで悔しい想いがあったのかもしれませんね。
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田畑政治とはどんな人?
大河ドラマ「いだてん」のモデルとなるもう一人の主人公の田畑政治さんは、1964年東京オリンピックの招致活動におけるキーマンの一人です。
田畑政治のプロフィール
名前:田畑政治(たばたせいじ)
生年月日:1898年12月1日
没年月日:1984年8月25日
出身地:静岡県
田畑政治はどんな人?
田畑政治さんは、1898年に静岡県に生まれ、東京帝国大学を卒業後、1924年に朝日新聞社(東京朝日新聞)に入社しています。
政治経済部長などを務め、1949年には常務に就任しています。
選手として、オリンピックに出場したことはありませんが、
水泳の始動もしており、日本代表の監督やオリンピックの団長を勤めています。
東京オリンピック開催に尽力をした人として、以前から有名なかたで、
マスコミに取り上げられることも多いです。
今回の大河ドラマ「いだてん」の前にも、
2009年の「1964東京五輪を招致せよ 〜祖国復興に賭けた男達〜」や2014年の「東京にオリンピックを呼んだ男」でドラマ化されています。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
2019年1月6日から始まる大河ドラマ「いだてん」の主人公のモデルとなる金栗四三さんと田畑政治さんについてご紹介しました。
金栗四三さんは、日本における「マラソンの父」と言われている人で、3度のオリンピックに出場しています。
箱根駅伝を始めた人としても有名な方です。
田畑政治さんは、1964年東京オリンピックの招致活動におけるキーマンの一人として有名な方です。
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