イケメンタレントの上地雄輔さん。
スポーツ関連の番組でもよく出演されます。
野球の名門校の横浜高校ということで、
高校の野球部関連の話でも、よくテレビ出演されていますね。
この間は、「消えた天才」で取り上げられた丹波慎也さんについて話されるために、テレビ出演されていました。
12月1日の「炎の体育会TV」では、今年、見事な復活を遂げた松坂大輔さんとの対決が見られるようです。
ここでは、実際のところ、上地雄輔さんの野球の実力は凄いのか?
松坂大輔さんととの関係や仲はどうなのか?
調べてみました。
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上地雄輔のプロフィール
名前: 上地雄輔(かみじ ゆうすけ)
生年月日: 1979年4月18日
出身地: 神奈川県横須賀市
身長: 178㎝
血液型: O型
事務所: ジャパン・ミュージックエンターテインメント
上地雄輔は野球の実力が凄い?
上地雄輔さんですが、実際に野球の実力はすごいのでしょうか。
実際に野球はすごいようです。
中学の頃から、野球は凄く、
高校の野球名門校から38校の野球推薦の話があったそうです。
これは凄いですね。
上地雄輔さんは、当初、茨城の常総学院に行きたかったそうです。
当時の常総学院は木内監督という有名な監督がいたので、
その指導を受けたいと思っていたとのこと。
しかし、中3の夏の神奈川県予選で、丹波投手を見て、横浜高校にいくこを決めました。
3名しかいない野球特待生としての入学だったそうです。
ということで中学の段階では、完全にプロにも行ける実力だったということかもしれません。
横浜高校といえば、松坂選手の時代が有名ですが、
上地雄輔さんは、松坂さんの一つ上ということになります。
高校に入学すると、1年の春から練習試合に出場していたそうです。
これだけの名門校で1年春から試合に使われるということは、
さすがに3名しかいない野球特待生ですね。
当時想いだし、本人も「将来にめちゃくちゃ自信がありました(笑)」といってます。
しかし、上地雄輔さんは、2年で怪我をしてしまい10か月のリハビリ生活ということになります。
結局、この怪我が響き、プロにもいけず、野球を諦めることになりました。
上地雄輔さんは、怪我さえなければプロ野球にいけたという評価もあるようですが、
実際のところ、本人はどう思っているのでしょう。
このことについて冗談ではなく真面目にインタビューをされたことがありますが、
「いえいえ。それは言い訳です。無理だと思いますけど。確実の怪我さえしてなければこの仕事(芸能)をしてな方と思います。」
と答えいます。
もし怪我さえなくれば、プロにいけたかは分かりませんが、大学や社会人に行って野球を続けていたようですね。
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上地雄輔と松坂大輔の仲は?
上でも書きましたが、上地雄輔さんは、松坂大輔選手の一つ上となります。
なので、先輩後輩の仲となります。
横浜高校では、投手と捕手という関係でバッテリーを組んで、
試合に出場した試合もあります。
上地さんの想い出で面白いエピソードがあります。
高校時代、横浜高校は部長からデータを叩きこまれるため、
バッテリーの関係は捕手が主導になっていたそうです。
また、上地さんはリードで信頼されていたので、
上地さんのリードで首を振る人はいなかったそうです。
ところが一度、後輩の松坂さんに、スライダーのサインを出しても、
どうしても首をふってストレートを投げたがったとのこと。
上地さんの方が先輩ですがら、意地でもスライダーししろとサインを出したそうですが、
結局、上地さんが分ったよという感じでおりて、ストレートを投げさせたようです。
しかし、結果は打たれてしまったとのこと。
しかし、上地さんは、松坂投手が意思表示をしてくれたことやストレートに自信を持ってくれたことが嬉しかったそうです。
とってもいい仲なんですね。
テレビでも何度か一緒に出演もしていますし、
12月1日の炎の体育会TVでも仲の良さが見れるようです。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
タレントの上地雄輔さん。
実際のところ、野球の実力は凄いのか、
また松坂大輔投手との仲について調べてみました。
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