テレビでおなじみのデヴィ夫人。
9月17日(月)NHKのファミリーヒストリーに登場します。
どのような番組になるのか楽しみですね。
デヴィ夫人 公式ブログを更新しました。 『明日の私へ、「あすへのヒント」』 https://t.co/pKhF9LETWV
— デヴィ スカルノ (@dewisukarno) 2018年9月14日
ここでは、そんなデヴィ夫人の先祖について、
両親(父親・母親)について、
弟について調べてみました。
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デヴィ夫人のプロフィール
名前: デヴィ夫人
本名: ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ
日本名: 根本七保子
生年月日: 1940年2月6日
出身地: 東京府東京市麻布区霞町
身長: 159㎝
血液型: A型
星座: みずがめ座
デヴィ夫人の先祖は?
今回のファミリーヒストリーで詳しく語られるようですが、
デヴィ夫人の先祖(父方の根本家)は、有力な武士だったそうです。
関ケ原の戦いの後、理由があり、漁師になっています。
大きな船を持つ漁師だったということです。
ということで、先祖は元々は有力な武士で、その後は漁師ということです。
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デヴィ夫人の両親(父親・母親)は?
デヴィ夫人の父親ですが、名前は、根本兵七郎さん。
上でご紹介したように、根本家は代々漁師でしたが、父親は漁師をしていません。
父親が何をしていたかというと、
大工です。
麻布区霞町の界隈で、大工の棟梁していました。
次に母親ですが、名前は政子さんです。
デヴィ夫人はこの両親から、生まれています。
下には弟もいます。
名前は八曾男さん。
尚、根本家ですが、多額の借金を抱えていたそうで、裕福ではなかったようです。
デヴィ夫人は1940年生まれですから、幼少の時は、ちょうど戦争末期になります。
母親は、はデビィ婦人と弟を連れて、福島県浪江に疎開していたそうです。
父親ですが、デヴィ婦人が16歳の時に亡くなられています。
デヴィ婦人は、家系を支えるために高校もやめて、16歳で赤坂の高級クラブ「コパカバーナ」で働き始めます。
その後、デヴィ夫人はスカルノ大統領と出会い、1962年第三夫人としてインドネシアに渡りました。
その後、母親と弟は?
さて、その後、母親と弟はどうなったのでしょう。
デヴィ夫人とスカルノ大統領の恋は日本でも大々的に報じられましたが、
母親はマスコミの執拗な取材により体調を崩してしまったそうです。
危篤の状態になり、デヴィ夫人は日本に帰国しましたが、
結局、母親は亡くなられてしまったそうです。
ということで両親は、若い時になくなられているんですね。
さらにデヴィ夫人に悲劇が襲います。
母親がなくなってしまった2日後に弟が亡くなってしまいました。
なんと知人のセールスマンに全財産を騙し取られたうえ、母の死に目に逢えなかった弟が、自宅アパートでガス自殺をしてしまいました。
弟さんはデヴィ夫人に話せば、何とかなったのかもしれませんが、
相談せずに亡くなられてしまったそうです。
デヴィ夫人のショックは大きく、後にジャカルタの宮殿の一つに実弟の名を付けています。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
テレビで活躍する姿が印象的なデヴィ夫人ですが、
まさに波乱万丈の人生という感じです。
軍事クーデターによるスカルノ大統領失脚の話は有名ですが、
両親や弟さんも若い時に亡くされていたとのことです。
NHKのファミリーヒストリーでは、この辺についても紹介されるかもしれませんね。
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楽しみ