2018年12月16日に放送される「消えた天才」にスキーのレジェンド葛西紀明さんが憧れた天才が紹介されます。

この天才ですが、秋元正博さんということです。

ここでは、秋元正博さんと葛西紀明さんの関係について、

秋元正博さんが起こした事故ついて、

また現在の政治活動についても調べました。



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秋元正博のプロフィール

名前:           秋元正博(あきもと まさひろ)

生年月日:         1956年9月3日

出身地:          北海道札幌市

身長:           175㎝

秋元正博はレジェンド葛西紀明が憧れた天才

「消えた天才」では、葛西紀明さんが永遠に憧れる天才として、秋元正博さんは紹介されます。

どのくらい凄い選手だったのでしょう。

秋元正博さんが活躍したのが、1970年代から1980年代の半ば。

引退されたのが1988年-1989年シーズン。

葛西紀明さんは1972年生まれですので、葛西さんが小学生から高校生の頃に活躍をされた選手になります。

現役時代は、国内外の試合で88勝という数字を残しており、

この記録は世界記録だそうです。

秋元選手は、ストラブスケプレソ(チェコスロバキア)でのW杯90m級での優勝では、

日本人選手では初めての、日本国外での快挙を成し遂げています。

このような選手でしたので、葛西選手が永遠の憧れという理由もわかりますね。

そして、1984年のサラエボオリンピックでは、八木弘和選手と共に日本選手で最もメダルに近いと言われていました。



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秋元正博は事故を起こしていまう

サラエボオリンピックでは、メダルも期待できた秋元正博さん。

ところが秋元さんは事故を起こしてしまいます。

1982年、北海道瀬棚町で運転していたところ、交通死亡事故を起こして逮捕されてしまいました。

秋元さんは、その影響で約1年間試合出場停止処分と下されました。

ただ復帰できるよう遺族からの嘆願書もあったようなので、

秋元さん側に悪質な問題があったわけではないようですね。

この事故については「消えた天才」では、詳しく放送されるようです。

メダルを期待されていたサラエボ五輪も、結局文部省の圧力などもあっては自ら出場辞退を宣言しています。

結局、日本はサラエボオリンピックで、日本のスキージャンプはメダルをとることはできませんでした。

辛い体験をされた秋元さんですが、その後、復帰をし、

1985年2月10日の大倉山でのワールドカップ札幌大会では、奇跡の優勝を果たしています。

「消えた天才」では、ここはかなり感動的なシーンになるようですね。

秋元正博は政治活動も

その後、選手としては、大怪我を経験しながらも、好成績を残していましたが、

1988年カルガリーオリンピックメンバーから漏れ落選し、

上でも書きましたように、1988年-1989年シーズンで、葛西紀明さんらと入れ替わるように現役を退きました。

選手を辞めた後の活動ですが、

政治活動をされています。

2005年、鈴木宗男さんに請われて新党大地の副代表となり、第44回衆議院議員総選挙に北海道1区から出馬しています。

しかし、落選をしています。

調べてみましたが、あまり政治家としての情報はありませんでしたので、

現在、政治活動はされてないようですね。

この辺も「消えた天才」で分かるかもしれません。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

スキージャンプのレジェンド葛西紀明さんが憧れた秋元正博さんが、

12月16日の「消えた天才」で紹介されます。

葛西選手は子供時代から選手として成長していく中で、

第一線で活躍されていた選手なので、

葛西選手は永遠の憧れという表現をしています。

その秋元選手は、オリンピックでもメダルを期待されましたが、

事故を起こしてしまい、その影響でオリンピックは断念。

しかし、その後、奇跡の優勝も果たしています。

引退後は、鈴木宗男さんに請われて、政治活動もしていますが、

落選しています。

番組では、かなり感動的な話になるようで、

注目ですね。

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